与えられるために大切なこと

 

 

 

外からのものを求めなければ

内側が満たされる

という感覚があります。

 

 

そして

内側が満たされると

外側もそれに次いで満たされる

という感覚もあります。

 

 

この状態が理想的なのですが

内側が満たされていない状態で

ここを目指そうとすると

 

 

外側のものが欲しい

 

 

という欲求と

 

 

相反する感じがしてしまう

 

 

というのが

悩みとしてあったりします。

 

 

 

つまるところ

 

 

 

内側を満たすということは

外側を求めないということ。

 

でも

外側が欲しいわけです。

 

そのために

内側を満たそうとする。

 

 

内側を満たすためには

外側を求めないこと...

 

 

でも外側が欲しい...

 

 

ここが感情的にぶつかるのですね。

 

 

 

 

 

この原因は

 

欲しいものは

自分で掴み取らなければならない

 

という思い込みがあるから

なのですね。

 

 

 

満たされていれば

与えられる...

 

 

のではなく

 

 

自ら掴み取りにいかなければ

与えられない...

 

という考え方なのです。

 

 

 

これって

自分が与える側になってみると

ハッキリわかるのです。

 

 

 

たとえば

お子さんでも

彼氏彼女でもいいのですが

 

 

ほしいほしいほしい

 

 

と、ねだられると

与えたくなる

という体験って誰にでもあると思います。

 

 

逆に

小さなことでも

喜んでくれる相手であれば

 

次から次へと

与えたくなってしまうものです。

 

 

 

 

場合によっては

ほしいほしいほしい作戦で

与えられることもあるのですが、

 

これは

どちらかというと

相手をコントロールする思考なので

あまり健全とは言えません。

 

 

与えられるためには

相手の心を操作することが必要だと

認識してしまいます。

 

 

 

そうではなくて

ごく自然に与えられる

という感覚を手にすることが

大切なのですね。

 

 

 

与えられることを

疑っていない状態です。

 

 

そして

それを素直に受け取れる状態。

 

 

 

この土台が備わっていないと

 

手に入れるために

相手をコントロールしようとしたり

必要以上に自分の労力を使ったり

 

与えてくれない相手に

怒りや失望の感情を覚えたりします。

 

 

そうやって拗れていく。

 

 

 

でも

ことの発端は

 

 

 

私は与えられない

 

 

 

と勘違いしてしまったことから

始まったのです。

 

 

 

 

そこの感覚を

修正していく方が

与えられるために

もっとも大切なことだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私』の土台を強くするために

 

 

 

『私』のエネルギーを

より高めていくには

土台を強固にしていく必要があります。

 

 

 

土台というのは

特別なことではなく

当たり前のこと

日常的な部分のことを言います。

 

 

 

 

つまり

より当たり前のことに

有り難みを感じられれば

より土台が強くなっていくのですね。

 

 

 

当たり前のことというのは

 

太陽が昇ってくること

季節が巡ってくること

細胞が命を紡いでくれていること

感覚があるということ

 

 

当たり前すぎて

普段は気にしないようなことに

意識を向けることができると

穏やかな安心感を

手に入れることができます。

 

 

 

それは

より普遍的なことが良いし

誰にでも持っていることが

良いのです。

 

 

 

私だけが持っているものよりも

誰でも持っているもの。

 

 

でも、多くの人は

その『持っているもの』に

気づいていないのです。

 

 

 

そこに意識を向けられると

『私』という存在は

より強く、確かなものとなっていきます。

 

 

 

 

 

いつでも誰でもできる

初めの一歩。

 

でも、もっとも大切なことです。

 

 

 

 

意外とすぐに

効果を感じられると思います。

 

 

 

自分の思える範囲で構いませんので

ぜひ、やってみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

問題はエネルギーが変化すると解決する。

 

 

 

エネルギーというものは

とても大切だなぁと感じています。

 

 

エネルギーというのは

スピリチュアル的な意味での

エネルギーですね。

 

 

 

 

 

ある状態の自分が

ある問題を解決しようと思っても

上手にできなかったものが

 

 

 

エネルギーを良い方向へ変化させると

スルッと解決してしまう

ということがあります。

 

 

 

 

 

苦しみや怒りや妬みといった

ネガティブなエネルギー帯域では

 

ごくごく簡単な問題であっても

上手く解決できなそうだというのは

感覚的に分かりますよね。

 

 

 

 

一方、喜びや感謝、希望といった

ポジティブなエネルギー帯域であれぱ

なんか上手くいくような気がします。

 

 

 

 

だからといって

 

ネガティヴがダメですよ

 

と言っているわけじゃないので

卑屈に感じないでもらいたいのですが

 

 

わたしたちが

ネガティヴに感じるのも

ポジティブに感じるのも

 

それ自体がすべて

エネルギーの問題だということです。

 

 

 

性格だとか、人格だとかは

全く関係がないということですね。

 

 

だから安心してください。

 

 

この世界で一人たりとも

性格の悪い人なんていないのですから。

 

 

 

 

 

 

目の前にある問題が起きたときに

それを今の自分のエネルギー状態で

解決しようとするのは

得策ではないということです。

 

 

 

 

 

アインシュタインの有名な言葉に

 

 

いかなる問題も

それが発生したのと同じ次元で

解決することはできない。

 

 

We cannot solve our problems with the same thinking we used when we created them.

 

 

 

という言葉があります。

 

 

 

これが本当にアインシュタイン

口にした言葉なのかどうかは

さておき...

 

 

 

 

まさにこういうことなのだと思います。

 

 

 

 

これはスピリチュアル的な

意味合いだけではなく

 

 

 

とある事象を見る視点は

人それぞれ異なり

 

その人の考え方しだいで変化するのだから

その視点や考え方を変化させなければ

 

根本的な問題は解決されない

と、捉えることもできます。

 

 

 

 

 

 

エネルギーというのは

もっとわかりやすい言葉を使うと

 

 

気分

 

 

ということです。 

 

 

どうやったら

わたしは気分良くいられるか?

 

 

様々な外的要因があるなかで

この気分を保つ方法を

自分なりに模索していくことが

 

とても大切なことなのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原点であるエイブラハムの言葉

 

 

こんにちは、さっとんです。

 

 

 

 

久しぶりに

エイブラハムの引き寄せの法則

学び直しています。

 

 

 

 

 

 

というのも

YouTubeで発信している

こうちゃんという方の動画を

最近、見ているからなのですね。

 

 

 

 

 

 

わたしが

エイブラハムの引き寄せの法則

はじめに手に取ったのは

 

 

もう10年以上前のことだったと思います。

 

 

あれから

この10年近くで

たくさんの発信者の方が現れ

 

引き寄せの法則

宇宙の法則

 

という言葉は

よく聴く言葉へとなりました。

 

 

 

たくさんの人が

引き寄せの法則のことを語る反面

 

オリジナリティ溢れる内容も

増えてきました。

 

 

それはとても良いことだと思うのですが

オリジナリティがあるということは

 

『万人に当てはまりにくい』

 

ということでもあります。

 

 

 

当人にカスタマイズされた

ものであればあるほど

多くの人には当てはまりにくくなります。

 

 

これってとても

キリスト教とか仏教などの

宗教的なものと近いなぁと思います。

 

 

キリスト教であれば

流派はたくさんありますが

 

基本的には経典である聖書は

みんな同じです。

 

 

 

聖書というのは

記述の内容がけっこう曖昧なことが多く

解釈の幅があります。

 

 

その解釈の仕方が無数に生まれた結果

流派が分岐して行ったのですね。

 

 

 

そんな感じで

引き寄せの法則

流派がたくさんありそうです。

 

 

しかし、原点はエイブラハムの言葉です。

 

 

わたしたち個人の体験談や感覚はもちろん

大切なのですが

 

そこで語られるものが

エイブラハムの言葉から

大きくズレるものでは迷いが生まれます。

 

 

 

わたしの場合は

なるべく原点である

エイブラハムの言葉を大切にしています。

 

 

派生的な解釈も好きですが

それでも最後には原点に立ち返ることを

忘れないようにしています。

 

 

 

 

 

 

最初に紹介した

YouTubeのこうちゃんは

こういう発信者には珍しく

 

オリジナルな解釈は

ほとんど含めず

 

エイブラハムの言葉を

忠実に紹介してくれています。

 

 

 

英語の原文にも当たれるというのも

信頼できるポイントだと思います。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで

自分のアウトプットのためにも

得た知識を文章で

まとめていこうかなと思っています。

 

 

 

気まぐれなので

どれだけ続くかはわかりませんが

気分にまかせて

書いていけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『わたしの存在』を根本から受け止める

 

さっとんです!

見えない世界の探究が好きで

日々実践をしています。

 

あなたにとっての

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お手伝いができたら幸いです😊

 

はじめましての方は

こちらをどうぞ!

 

 

...

 

 

わたしの内側が世界だ

 

 

そのようなことを

この前書きましたが

 

 

これは

さっとん自身がこの考え方を

腑に落とすために

整理しているのですね。

 

 

なので

さっとんもまだまだ

そのことを忘れてしまうし

思い出すのに時間がかかることもあります。

 

 

もしこれを

読んでくれる人がいるのであれば

一緒に整えていきましょう😊

 

 

 

さて

繰り返しになるのですが

 

 

わたしの内側が世界である

 

 

ということについて

もう一度まとめてみます。

 

 

わたしが観ている世界は

わたしの内側の投影です。

 

スピリチュアル的な意味合いで

とらえてもいいし

 

単純に

わたしの解釈が

わたしの観ている世界を

生み出している

 

と認識してもらってもいいでしょう。

 

 

どちらにせよ

観ている世界の性質は

わたしの内側と関係しています。

 

 

でも

わたしたちは

なぜか外側を

変えようとしてしまいます。

 

 

上司が

子供が

親が

学校が

政治家が

社会が

資本主義が

お金が

 

 

自分以外の誰かや何かを

変えたいと思ってしまうのですね。

 

たとえば

会社の業績が悪い

となれば

 

営業部のテコ入れを

考えるかもしれません。

 

 

子供が不登校

引きこもりなのであれば

 

どうすれば

子供が学校に行ってくれるのかを

考えると思います。

 

 

これが

外側を変えようとする

ということ。

 

 

この行為が

必ずしも悪いというわけではなくて

対処療法的な考え方も

大切だよね

 

という話も

前にさせてもらいました。

 

 

 

 

でも

根本的には

自分の内側を変える必要がある。

 

 

これを

どれだけ腑に落とせるかが

とても大切になってくるのですね。

 

 

そして

外側を変えたくなってしまう

理由は

 

 

内側が満たされていないから

 

 

なのです。

 

内側が満たされていない

というのは

つまるところ

心の奥底に不安や恐れがあるということです。

 

その状態にあると

その不安や恐れを外側のもので

埋めようとしたくなります。

 

 

欠乏感というやつですね。

 

 

一時的には

外側からの埋め合わせで

満たされた気になるかもしれませんが

 

心の穴がぽっかり空いたままでは

いずれまた空っぽになってしまいます。

 

 

では

どうすれば満たされるのか?

 

 

自分で満たすんです。

 

 

欠乏感を埋めるには

根本にある自分自身の

存在を

 

自分自身で受け止める

必要があります。

 

 

わたしたちは

どこかで

 

 

自分は自分のままではダメだ

 

 

と思い込んでいるところがあります。

 

 

それが

家庭環境が問題なのか

はたまた学校教育なのか

 

もしくは

カルマ的なものが

原因にあるのかは

定かではないですが

 

多くの人が

 

 

自分は自分のままではダメだ

 

 

と無意識に

思い込んでいるのですね。

 

 

これを

無価値観とも呼びます。

 

 

わたしたちは

どこかでなぜか

 

自分の存在自体を

否定しているんです。

 

 

いい点数を取らなきゃダメだ

親を悲しませてはダメだ

いい学校に行かなきゃダメだ

いい会社に行かなきゃダメだ

仕事ができるようにならなきゃダメだ

社会に役に立てるようにならなきゃダメだ

経済的に豊かにならなきゃダメだ

 

 

そうやって

自分自身の存在には

外側の条件を紐付けしないと

価値がないと

 

思い込んでしまってるんです。

 

 

ちなみに

価値という言葉を使うのは

誤解を招くのであまり好きではないのですが

 

 

わたしには価値がなければダメだ

 

 

というのも

条件付けですよね。

 

 

 

これらのことを

いかに

 

わたしの存在は

条件などに関係ない

 

と思えるかが

肝になってくるのです。

 

 

 

ちなみに

仏教では

 

 

わたしという認識は存在しない

無我である

 

という考え方で

自分の価値があるとか無いとか

の問題をキャンセルしています。

 

 

そもそも

わたしという存在は

とても曖昧なもので

実態がないのだから

 

価値があるとか無いとか

考えること事態が

ナンセンスだよね

 

という考え方ですよね。

 

 

個人的には

仏教の考え方は

とても好きなのですが

 

わたしは存在しない

 

という考え方を

受け入れることが

ピンとこない人も多いと思うので

 

あくまでも

 

わたしの価値があるとか無いとかは

わたしの存在には関係ない

 

ということを

理解するための

教えだと

 

認識してもらえたらと思います😌

 

 

さて

 

わたしという根本的な存在を

わたし自身が受け止められるか

 

という

お話でした。

 

 

わたしという存在は

外側の条件など関係なく

どんなときにでも

 

 

わたしである

 

 

ということを

どれだけ認識できるか。

 

 

外側うんぬんで

わたしの価値は決まらない。

 

上がったり下がったりもしない。

 

だって

わたしはわたしなのだから。

 

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

だって

わたしはわたしなのだから。

 

 

 

これが

わたしの存在をそのまま

受け止めるということです。

 

 

この状態に

安心できると

 

外側への欲求は

圧倒的に減ってきます。

 

 

内側が満たされていくので。

 

 

そうなると

外側は内側の投影なので

現実が変化していくのですね。

 

 

どう変化するかは

誰にもわかりません。

 

わかる必要もないのです。

 

だって

もうすでに満たされているのだから。

 

 

 

よく言われる言葉を

使うなら

 

宇宙におまかせ

 

の状態ですね。

 

 

 

外側でどんなことが起ころうと

わたしの存在には関係ない。

 

上がったり下がったりもしない。

 

だから

未来に何が起こるかなんかも

気にしない。

 

だって

いつだって

 

わたしはわたしなのだから。

 

 

 

 

これは

 

望む未来を引き寄せよう!

 

というような言葉が好きな人には

なかなかマッチしない

考え方かもしれません😌

 

もしあなたが

そういう考え方を持っていて

もうすでに

上手くいっているのであれば

わざわざ考え方を変える必要は

ありません。

 

そのままでいてください。

 

 

でも、もしも

そうでない場合。

 

望みや願いを

叶えよう叶えようと

がんばってきたのに

思ったような現実に

出会えていない場合。

 

その場合は

今回お伝えした考え方を

採用してみるといいかもしれません。

 

 

 

わたしの内側は世界だ

 

 

すべてを

わたしの内側から

はじめてみてください😊

 

 

 

 

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《遊び》を大切にすると、どんどん良くなる

 

さっとんです!

見えない世界の探究が好きで

日々実践をしています。

 

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はじめましての方は

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...

 

 

唐突ですが

 

 

《遊び》

 

 

の定義って

ご存知ですか?

 

 

もちろん

捉え方によって

色々とあるのですが

 

 

さっとんが気に入っている

定義が

 

《遊び》とは

 

 

 

目的がない行為

 

 

 

ということなんです。

 

言い換えると

行為自体が目的となっている

ということです。

 

 

 

たとえば

パンケーキが好きで

パンケーキ屋さん巡りをしていて

 

新しいお店の情報を得たら

全国どこでも

パンケーキ巡業をしてしまう

 

みたいな人がいたとしたら

 

 

この人が

パンケーキを追いかけることに

目的はあるでしょうか?

 

 

目的というのは

成果のためとか

お金のためとか

よりよい生活のためとか

 

そういう

ゴールがあることをいいます。

 

 

パンケーキ好きの

この人は

 

 

 

パンケーキが好きだから

パンケーキを追いかけるのです。

 

 

だから

明確な目的は存在しません。

 

 

しいていうなら

美味しいパンケーキを食べることが

目的になっています。

 

 

行為が目的になっている

ということですね。

 

 

この状態って

もの凄くエネルギーが高い状態って

なんとなくわかりますよね。

 

 

逆に

目的がある行為って

なにかというと

 

 

 

仕事です。

 

 

 

仕事は

成果が求められるので

必ず目的があります。

 

 

売り上げをあげるとか

お客様を喜ばせるとか

社会貢献するとか

 

 

必ずしも

そういう行為が悪いとは

決して言いませんが

 

 

遊びと仕事の違いを

認識しておくと

自分のとっている行動の動機に

意識を向けることができます。

 

 

ちなみに

目に見える成功を収めている方で

社会貢献的なことを掲げている方が

いると思いますが

 

 

その人は

社会貢献が目的になっているというよりは

 

好きなことをやっているうちに

結果的に社会貢献につながってしまった

 

という場合が

多いような気がします。

 

 

ようするに

パンケーキが好きすぎて

追いかけているうちに

 

パンケーキアドバイザーとか

パンケーキコンサルタントとか

パンケーキ専門家というような

 

活動につながって

喜んでくれる人が

たくさん現れたので

 

結果的に

社会貢献になっている。

 

だから

それを目標に掲げているように

見えるのではないかなと

思うのですね。

 

 

 

だからまずは

社会貢献うんぬんを

考えるのも悪いことではないですが

 

目的はないけれど

ついつい

 

好きでやってしまうこと

楽しくてやってしまうこと

興味があって追いかけてしまうこと

自然と体が動いてしまうこと

 

こういうことを

大切にした方が

どんどんエネルギーが満ち溢れていくのです😊

 

 

 

 

 

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夢や目標を持つことが、必ずしも正義ではない。

 

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...

 

 

皆さんは

夢というものが

ありますでしょうか?

 

 

もしくは

夢や目標と聞いて

ピンときますでしょうか?

 

 

じつは

さっとんは

 

夢や目標と聞いて

ぜんぜんピンとこないのです🤔

 

 

以前は

こういう感覚を持っている自分は

あまりよくないのだ

 

と感じていて

夢や目標を持たなきゃ

と思っていたのですが

 

 

いま感じることは

 

 

これが自分なんだ

 

 

ということなんですね。

 

 

冷静になって

自分のことを観察してみると

 

どうやら

何かを達成するよりも

何かを手放していくほうが

興味のある人間のようです。

 

 

だから

夢や目標を達成するよりも

 

夢や目標を手放していくほうに

心が惹かれていくのですね。

 

 

それが

夢や目標なのでは?

 

と言われて仕舞えば

そうなのですが

 

禅問答のようになって

頭が混乱しそうなので

そういう話はやめておきます。笑

 

 

つまり何が言いたいのかというと

 

 

頑張って夢や目標を

目指さなくてもいいんだよ

 

 

ということなんです。

 

どのように生きることが

自分にとっての充実なのかは

本当にその人によります。

 

 

だから

どんなに偉い人や

凄い人が

 

 

夢や目標を叶えよう!

 

 

と強く言っていたとしても

その言葉が

あなたにヒットしないのであれば

 

あなたは

また別の人種ということなんです。

 

 

だから

あなたの生き方をしていけばいい。

 

 

無理して

凄い人の言葉に

あわせていかなくてもいい。

 

 

大切なのは

あなたの感覚なのですからね😌

 

 

 

 

 

 

 

 

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