『わたしの存在』を根本から受け止める

 

さっとんです!

見えない世界の探究が好きで

日々実践をしています。

 

あなたにとっての

手のひらサイズな幸せを

まずは取り戻すための

お手伝いができたら幸いです😊

 

はじめましての方は

こちらをどうぞ!

 

 

...

 

 

わたしの内側が世界だ

 

 

そのようなことを

この前書きましたが

 

 

これは

さっとん自身がこの考え方を

腑に落とすために

整理しているのですね。

 

 

なので

さっとんもまだまだ

そのことを忘れてしまうし

思い出すのに時間がかかることもあります。

 

 

もしこれを

読んでくれる人がいるのであれば

一緒に整えていきましょう😊

 

 

 

さて

繰り返しになるのですが

 

 

わたしの内側が世界である

 

 

ということについて

もう一度まとめてみます。

 

 

わたしが観ている世界は

わたしの内側の投影です。

 

スピリチュアル的な意味合いで

とらえてもいいし

 

単純に

わたしの解釈が

わたしの観ている世界を

生み出している

 

と認識してもらってもいいでしょう。

 

 

どちらにせよ

観ている世界の性質は

わたしの内側と関係しています。

 

 

でも

わたしたちは

なぜか外側を

変えようとしてしまいます。

 

 

上司が

子供が

親が

学校が

政治家が

社会が

資本主義が

お金が

 

 

自分以外の誰かや何かを

変えたいと思ってしまうのですね。

 

たとえば

会社の業績が悪い

となれば

 

営業部のテコ入れを

考えるかもしれません。

 

 

子供が不登校

引きこもりなのであれば

 

どうすれば

子供が学校に行ってくれるのかを

考えると思います。

 

 

これが

外側を変えようとする

ということ。

 

 

この行為が

必ずしも悪いというわけではなくて

対処療法的な考え方も

大切だよね

 

という話も

前にさせてもらいました。

 

 

 

 

でも

根本的には

自分の内側を変える必要がある。

 

 

これを

どれだけ腑に落とせるかが

とても大切になってくるのですね。

 

 

そして

外側を変えたくなってしまう

理由は

 

 

内側が満たされていないから

 

 

なのです。

 

内側が満たされていない

というのは

つまるところ

心の奥底に不安や恐れがあるということです。

 

その状態にあると

その不安や恐れを外側のもので

埋めようとしたくなります。

 

 

欠乏感というやつですね。

 

 

一時的には

外側からの埋め合わせで

満たされた気になるかもしれませんが

 

心の穴がぽっかり空いたままでは

いずれまた空っぽになってしまいます。

 

 

では

どうすれば満たされるのか?

 

 

自分で満たすんです。

 

 

欠乏感を埋めるには

根本にある自分自身の

存在を

 

自分自身で受け止める

必要があります。

 

 

わたしたちは

どこかで

 

 

自分は自分のままではダメだ

 

 

と思い込んでいるところがあります。

 

 

それが

家庭環境が問題なのか

はたまた学校教育なのか

 

もしくは

カルマ的なものが

原因にあるのかは

定かではないですが

 

多くの人が

 

 

自分は自分のままではダメだ

 

 

と無意識に

思い込んでいるのですね。

 

 

これを

無価値観とも呼びます。

 

 

わたしたちは

どこかでなぜか

 

自分の存在自体を

否定しているんです。

 

 

いい点数を取らなきゃダメだ

親を悲しませてはダメだ

いい学校に行かなきゃダメだ

いい会社に行かなきゃダメだ

仕事ができるようにならなきゃダメだ

社会に役に立てるようにならなきゃダメだ

経済的に豊かにならなきゃダメだ

 

 

そうやって

自分自身の存在には

外側の条件を紐付けしないと

価値がないと

 

思い込んでしまってるんです。

 

 

ちなみに

価値という言葉を使うのは

誤解を招くのであまり好きではないのですが

 

 

わたしには価値がなければダメだ

 

 

というのも

条件付けですよね。

 

 

 

これらのことを

いかに

 

わたしの存在は

条件などに関係ない

 

と思えるかが

肝になってくるのです。

 

 

 

ちなみに

仏教では

 

 

わたしという認識は存在しない

無我である

 

という考え方で

自分の価値があるとか無いとか

の問題をキャンセルしています。

 

 

そもそも

わたしという存在は

とても曖昧なもので

実態がないのだから

 

価値があるとか無いとか

考えること事態が

ナンセンスだよね

 

という考え方ですよね。

 

 

個人的には

仏教の考え方は

とても好きなのですが

 

わたしは存在しない

 

という考え方を

受け入れることが

ピンとこない人も多いと思うので

 

あくまでも

 

わたしの価値があるとか無いとかは

わたしの存在には関係ない

 

ということを

理解するための

教えだと

 

認識してもらえたらと思います😌

 

 

さて

 

わたしという根本的な存在を

わたし自身が受け止められるか

 

という

お話でした。

 

 

わたしという存在は

外側の条件など関係なく

どんなときにでも

 

 

わたしである

 

 

ということを

どれだけ認識できるか。

 

 

外側うんぬんで

わたしの価値は決まらない。

 

上がったり下がったりもしない。

 

だって

わたしはわたしなのだから。

 

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

だって

わたしはわたしなのだから。

 

 

 

これが

わたしの存在をそのまま

受け止めるということです。

 

 

この状態に

安心できると

 

外側への欲求は

圧倒的に減ってきます。

 

 

内側が満たされていくので。

 

 

そうなると

外側は内側の投影なので

現実が変化していくのですね。

 

 

どう変化するかは

誰にもわかりません。

 

わかる必要もないのです。

 

だって

もうすでに満たされているのだから。

 

 

 

よく言われる言葉を

使うなら

 

宇宙におまかせ

 

の状態ですね。

 

 

 

外側でどんなことが起ころうと

わたしの存在には関係ない。

 

上がったり下がったりもしない。

 

だから

未来に何が起こるかなんかも

気にしない。

 

だって

いつだって

 

わたしはわたしなのだから。

 

 

 

 

これは

 

望む未来を引き寄せよう!

 

というような言葉が好きな人には

なかなかマッチしない

考え方かもしれません😌

 

もしあなたが

そういう考え方を持っていて

もうすでに

上手くいっているのであれば

わざわざ考え方を変える必要は

ありません。

 

そのままでいてください。

 

 

でも、もしも

そうでない場合。

 

望みや願いを

叶えよう叶えようと

がんばってきたのに

思ったような現実に

出会えていない場合。

 

その場合は

今回お伝えした考え方を

採用してみるといいかもしれません。

 

 

 

わたしの内側は世界だ

 

 

すべてを

わたしの内側から

はじめてみてください😊

 

 

 

 

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